ろくがつ

ねこ歩き展に行ってきた母親から鏡に映した全身自撮り写真(着用イメージ的な)が送られてきて、気が緩む朝。
危なっかしいひとではありますが、この母あっての私だと年々強く思う。
母が自分を産んだ歳に自分がなるというのは、やっと生きてる時間が親の半分に追いついたということで(あってる?)これからは半分は追い越していってしまうのだ。な。

って、もうなった気で書いたけどまだでした。

【長靴を準備するにはまだ早いごみを捨てたらおしろいを塗る】